車を降りてからというもの勝呂と燐は連れだって道なりに歩いていた。特に目的もないで、休憩がてらに立ち寄った森の中である。太陽はいつのまにかいちばん高いところから照りつけるようになっていて、陽射しが肌にちくちくした。けれど蒸した暑さを感じないのは、森に冷やされた涼しい風のおかげだった。
「おっ、あれ、ちょうちょだ!」
「ん?」
「うわ、でっけえ!」
「ありゃ蛾だ」
 勝呂のつっこみに「似たようなもんだろ」とは燐の負け惜しみだ。
 勝呂が運転しているあいだ助手席でうつらうつらしていた燐はもうすっかり目を覚ましたようで、目に映る緑の大きさや都会では見かけない虫たちの出現にいちいち素直に声をあげて勝呂に相手をさせていた。
「ここ、志摩はぜってえ来れねえだろうなあ」
「せやな」
 虫嫌いの友人を思い浮かべて勝呂は短く笑う。
 ホトトギスだかウグイスだか知らないが鳥の声がひとけのない静かな世界を渡っていた。どこもかしこも自然でいっぱいの森は、ふだん自分たちのいる下界とはなにもかも違った。
「なあ、すぐろー」
「なんや」
「はらへった」
 そろそろくると思った。さっきから燐の腹の虫がぎゅるぎゅるとうなっているのが聞こえていた。
「なん食いたい」
 勝呂が問えば、燐は首をかしげて考え込む。
 そんな真剣に悩まんでもと見守る勝呂のとなりで、やがて燐は「うなぎ」と答えを出した。
「うなぎなあ」
「高いからだめか?」
 おうかがいをたてる燐の上目づかいは無意識のうちなのか。
「まあ、せっかくやし、ええやろ」
「やった!」
 燐は子供っぽくとびあがって喜ぶと、機嫌のいい鼻歌を勝呂に聞かせた。ぺとぺとと、サンダルが足の裏にあたる音が心なしか弾んでいる。なでるように勝呂の身をよぎっていった風が燐の前髪にもちょっかいをかけるのを見て、勝呂は目を細めた。
 ふと勝呂の手の内にやわい感触があった。見れば、勝呂の手のひらと燐の手のひらがひとつにつながっていた。
 思わずあごを引いて勝呂は燐を見やった。
「なんやこれは」
 そっけなく言うと、
「かまわねえだろ?」
 照れ笑いを浮かべた燐が、もっとぎゅっと握りしめてくる。
「べつにええけど」
 とはいえ、気恥ずかしさがないでもなくて、勝呂は行く先に見える遠くの景色に視線を移した。それでも意識するのは燐につながっている手のひらなのである。おおっぴらにできない関係になってそれなりに経つのに、こうして手をつなぐのは意外にはじめてかもしれなかった。
 それにしてもと勝呂は燐に目をもどした。
「おまえの手、異様にあつないか?」
「―――だって、さわってるからな、おまえに」
 言葉をためる燐に見つめられて、勝呂はまばたきを忘れた。
 またいちだんと燐の手のひらが熱くなったような気がする。それとも燐のではない自分の手のひらがその熱を生んでいるのか。
 まじりあってどちらのものとも分からなくなった熱は勝呂のすみずみに広がっていく。そよぐ風の涼しさをも役立たずにしてしまうほど、それはあっというまのことだった。





その1:手をつなぐ
(2011.07.29)


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