コードを巻き終えた掃除機を寝室のクローゼットにしまいこんだちょうどそのときだ。洗濯機がぴーぴーと音を鳴らし始めて脱水が終わったことを律儀にも報告するのだった。なんという狙いすましたタイミング。床の掃除が終わったばかりだというのに次の手間がもうわいた。まあべつにいいけどさ、と俺は多少の気だるさでもってのらりくらりと寝室をあとにした。
 いったい何度ぴーぴー鳴くつもりなのか、洗濯機のしつこさはこのうえない。はいはい今行きますよと声に出さずにつぶやきながら図体のでかい水色の機械の前にたどり着けば、見計らったようにぴーぴーはぴたりとやんだ。ふたを開けて中をのぞくと、さっきまでぐるんぐるんに回されていた布団シーツとタオルケットが情けないくらいぶざまに絡まりあっていた。非常に美しくない状態である。これをほぐしてやるのは面倒くさいなあと思いつつ、水を吸って重くなったそれらをよいしょと引き上げた。
「おい燐、」
 となりの風呂場から勝呂の声に呼ばれた。シーツとタオルケットはずしりと手にのったまま、洗濯カゴはどこへいったかと俺は横目で探す。
「洗濯機のふたは開けたまんまにせえよ。かびがはえる」
「りょーかい―――ってなにおまえ、まだふろ洗ってんの?」
「もうすぐ終わる」
「どんだけ時間かけてんだよ」
「うるせ。おまえも手伝え」
「やだ。これ干さなきゃなんねえし」
 俺は、どっちが表なのか裏なのかちっとも分かりゃしないぐだぐだのシーツとタオルケットを、足でたぐりよせた洗濯カゴの中に放りいれた。これだけでもひと仕事を終えた気分であったが、まだまだ俺には、ベランダまでカゴを持って行きこのかたまりを干さねばならぬという大仕事が控えている。なんていうのは、ちょっと大げさすぎた。
「そういや、さっき雪男から電話あってさ、」
 言いながら俺は勝呂のいる風呂場をのぞいた。勝呂はタイル張りの床に這いつくばるように屈んでいた。
「せんせえ、なんやって?」
「こっちに着くの、予定より遅れるらしい」
「仕事、長びいとんのか?」
「いんや、乗ってる電車が動かねえんだと」
「あっこはよう止まんなあ」
 泡のたったスポンジを左手に持ちかえて勝呂はタイルのひとつをごしごしとこすり始めた。
 なにもそんなに丁寧にやらなくても、てきとうに泡をつけて終わらせればいいのに。そんなため息を誘うのが勝呂なのだった。いつもそうだ、目についたら我慢できずに手を出して、気がすむまでとことんやる。ここまででいいやとかいう手抜きを自分に許していない。なんという勝呂クオリティだろう。
「まあ、好きにしたまえよ」
「ん? なんや?」
「なんでもねえ」
 俺は洗濯カゴを抱えてベランダに向かった。
 横ぎってゆく台所とリビングの掃除はすでに終了している。そのふたつは俺の担当で、勝呂がトイレと風呂場でせこせこやっているあいだに、俺がささっと終わらせた。あとはこの洗濯ものを干すだけでいい。みんなが来るまでになんとか間に合いそうだと時計を見たら、時間はちょうど正午までにあと三十分というところだった。
 今日はこれからかつての塾の同期メンバーが遊びに来るのだ。少し遅れてやって来る雪男は、今夜はここに泊まっていく。
 みんなには俺と勝呂がこんなふうになっていることを話してあった。というか、俺のついうっかりのせいでばれてしまったのだけれど、もともと隠すつもりもあんまりなかったから、なるようになっただけのことだと思う。戸惑うような話を聞かされても、みんなはそれぞれに、なかば無理やりに受けいれてくれた。とりあえずいまのところ、雪男はなにかと俺たちの様子を見に来るようになって、しえみは俺たちのまえでは分かりやすく顔を真っ赤にする。根ほり葉ほりきいてくるのは志摩で、子猫丸は小姑のように俺にちくちく言うようになった。出雲はあいかわらず不器用なやさしさを毒に包んでいる。ふたりで閉じこもってしまってもおかしくない状況にいる俺たちはみんながいるおかげで開き直っていられるのだ。けれど逆にみんなが俺たちのことで気を使ってくれることのないように、というのが俺と勝呂の願いだった。
 窓を開けてベランダに出ると、ぶよぶよに温まった空気に肌をなでられた。部屋の中はエアコンをつけたばかりでたいして涼しくもないけれど、外よりもまだましだ。セミの合唱に混じりあってちりりんと風鈴の音が聞こえてくる。仕切り板の向こう、おとなりさんの部屋のベランダにつるしてあるのが鳴っているのだ。風が出てきたらしい。見上げれば熱烈な光線を降らせている太陽も空にあって、これなら洗濯物もあっというまに乾きそうだ。自然の恵みをたっぷりあびたシーツもタオルケットも、慢性的に寝不足の雪男を気持ちよく眠らせてくれるだろう。
 と、そのまえに、まずは濡れて固まったそのシーツたちを陽のもとにさらしてやるのが先だ。俺は洗濯カゴに手をつっこんでまずはタオルケットを引っ張り上げた。シーツが一緒についてくるのが邪魔くさい、それをぎゅっぎゅっと手で押さえつけて、力まかせにタオルケットだけをひっこぬいた。
「まあだ干さっとらんのか」
 いつのまにか勝呂が後ろにいて口を出してきた。
「こっちは終わってしもうたぞ」
 なんとなく自慢げに聞こえて俺はむっとなる。
 ベランダにおりてきた勝呂は、俺の手からタオルケットを取りあげると、手すりの上でてきぱきとそれを広げて最後にふとんバサミで固定した。
「次、シーツくれや」
 俺は洗濯カゴの中から白い布のかたまりをさらいあげた。
「ほい」
「ん」
 勝呂は受け取ったシーツの乱れを丹念にほぐして一枚の平らな布の姿にすると、裾の両端を握って勢いよく左右に引っ張った。ぱんっと小気味のいい音がして、これでだいぶ皺はまっすぐにのびたと思う。勝呂は二三度それを繰り返してから、タオルケットのとなりにシーツを並べて置いた。
「おお! なんかかっこいいな!」
 心得て迷いのない勝呂の手際は、見ていてすごく気持ちがいい。
「なんがかっこええんや」
「いや、なんつうかさ、やっぱかっこいいよ、勝呂は」
 勝呂は目をみはって俺を見た。それからちょっとだけ顔をしかめる。それは、照れてます、のいつものポーズだった。勝呂はいつまでもたっても俺のこういう褒め言葉に慣れないらしい。直球すぎていかんのだと。
「あんまこっち見んなや」
「なんで? おれいま、おまえにほれなおしてんのに」
「―――またおまえは、」
 そう言って言葉を続けようとした勝呂の目がふいと横にそれた。
「なんや、もう来たんか」
 勝呂の視線の先をたどってみたら、今日の客人ご一行が俺たちの住むアパートに向かって歩いてくるのが見えた。みんながスーパーの白いビニル袋を提げていて、頼んだとおり、昼ごはんの材料を買ってきてくれている。
 俺たちに気づいた志摩が、頭からはずしたキャップを手に握って振りながら、いちばんにおーいと声をあげた。ふたつのかわいらしい日傘が傾いて、しえみと出雲の顔が見える。子猫丸は、扇子をぱたぱたとやりながら軽く一礼してみせた。
 俺もみんなに向かっておーいと手を振り返した。身を乗り出しすぎて大きく前のめりになったところを勝呂に引っぱり起こされた。
「あいつら来るの早ないか?」
 勝呂は、みんなの到着が約束の時間より早いことに文句めいたことを言う。けれど、そのわりに笑顔はとてもうれしそうだ。素直なんだか素直じゃないんだか。みんなを見渡す目だって、やさしくておだやかで、勝呂というひとがにじみでている。
 ああ、なんだろな。いまぐっときた。やっぱり俺はこの男が好きだ。大好きだ。
「すぐろ、」
 俺を見た勝呂の、ちょっとだけ開いた口に、俺はちゅっと唇をあてた。
 一瞬呆然とした勝呂が、すぐにあわてて口をおさえる。
 きゃあと、意外と大きな声はたぶんしえみのだ。
「ばか、おまえ、あいつら見とんのやぞ」
「はは、わりい、つい」
「ついてなんや!」
 顔を赤くして、怒っているような照れているような勝呂に、俺はもういっかいキスをしようと顔を近づけた。勝呂は俺のあごをぐぐぐと力いっぱいおさえてきて、俺はそれでもがんばって勝呂にせまる。あきらめない。
「ぎゃあ、やめえ!」
 とうとう勝呂の叫びがあがった。それにかぶるように聞こえてくるみんなの声は、悲鳴か歓声か。どっちでもいい。とにかく俺は幸せなのだった。





その12:キスをする
(2011.08.15)


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