昼休みの終わりかけの廊下は人でいっぱいに込んでいるから勝呂はそれがあまり好きではなかった。もともと人の多いところにいるというのは落ち着かないし、そこに見知らぬ人がたくさんいるというだけでわずらわしい気持ちになってくる。それでもいまこうやって廊下のはじっこに立つことになっているのは、職員室に用のある志摩と子猫丸を待っているからだった。すぐ戻ってきますんでそこから動かんといてくださいよとは彼らの言いつけであるけれども、そうやってふたりにしつこく念押しされなければすぐにでも教室に戻っているところなのだ。
 昼間の学校はどうも居心地がよろしくない。ここはどこかかりそめの場所のように思えてならなかった。年ごろの青い春にあふれたこの場所に心を開いていない自覚が勝呂にはある。自分の本当の居る世界はそのために生きているのだと実感できるところでなければならないため、それが実感できない昼間の学校は自分にふさわしい居場所ではなかった。そうしてそこに実際に生息する彼らと自分とのあいだにいつのまにかひいていた線について、勝呂はそれを今さらどうこうするつもりもない。つまり要するには、人づきあいは苦手だという、そういうことである。
 目の前をふわふわと笑いあいながら歩いてゆく女子生徒たちのうしろをぼんやり見ていた勝呂の視界に、見覚えのある顔がひょっこり現れた。階段に続く廊下のいちばん隅にいるそれが奥村燐だとすぐに分かったので、勝呂は背中をもっと壁に押しつけて己の気配を薄めると、見ていることを気づかれぬように奥村燐だけを目に入れた。昼間という時間帯に学校という空間のなかにいる彼は放課後のあの塾で会うのとはどことなく違うように見える。と思ったのもつかのま、大きく口を開けてあくびをしたあと目元をごしごしとこするそのしぐさは、昼も放課後も関係ない、やっぱり奥村燐だった。
 奥村燐は廊下にたむろする生徒たちを見渡すなりあからさまに眉間にしわをよせた。もとからつりあがり気味の目がさらに上を向き、くちびるはかたくなに結ばれて息も漏らさんばかりだ。いからせた肩に首をうずめ、ズボンのポケットに両手をつっこんだまま、いかにも周囲から浮いた雰囲気で前進している。そんなだから近くを歩く生徒には距離を置かれるのだし、すれ違った生徒には振り返られてひそひそやられるのだ。
 なにもそんなに気張らなくてもいいのにとあきれるいっぽう、勝呂は奥村燐のことを馬鹿にする気はさらさらなくて、むしろ小気味よいとさえ思うのだった。それだけに、ほんの心持ち彼の顔が下を向いているのが残念でならず、もっと堂々と悪ぶったらええんや! といらぬエールまで送りたくなってしまう。
 まばたき少なく前を見据えていた奥村燐の目がふいに動いたので視線の先を追いかけようとわずかに身を乗り出したら、勝呂はあっさり彼に見つかってしまった。奥村燐は一瞬だけ目を見開いたあとすぐにまっすぐの視線を勝呂にぶつけてきて、勝呂もまた、目をそらすのはいまさらだと彼のまなざしをまっこうから受け止めた。勝呂だけを見つめて歩いてくる奥村燐の、眉間からはしわが消え、目じりは緩やかに落ち着き、くちびるはゆとりを持った。こわばっていた彼の顔からいっきに力が抜けて、その勢いのままそれは笑顔となった。
「よお、坊」
 すれ違いざま奥村燐は勝呂を見上げてそうよんだ。
「坊ゆうな」
 目の前を通り過ぎてゆく奥村燐に勝呂はそうこたえた。
 あっけなく終わったやりとりのあとには奥村燐の悪びれない笑い声だけが残り、それだけでも勝呂にとっては悪くないことだったけれど、それだけではもの足りない心境でもあった。だから、遠ざかろうとする奥村燐の背中がこれ以上離れていってしまうのを勝呂は我慢できなかった。
「おい、おくむら!」
 そうして出た声は思いのほかボリュームがあって、その場の全員の足を止めることになったけれども、よばれた奥村燐本人がちゃんと振り向いてくれたので結果オーライである。
 勝呂はもういちど彼の名前をよぶと、「なんだ?」と首をかしげて勝呂の言葉を待つその人に、確かめるように言い聞かせた。
「またあとでな」
「おう!」
 すぐに返ってきた力のこもった頷きと、目を細めてにかりと歯をみせた奥村燐に勝呂はおおいに満足した。いまこのとき自分と彼とが確かにつながった感覚がある。自分と彼とをつなげたものをふたりは持っているのだ。それはどこか秘密の暗号めいて、他人にはわからない、自分たちだけがわかっているものなのである。ぐずぐずと腹の底からわいてくるこの興奮はどういうわけだろう、はっきりと説明できる言葉は持たないけれど、それ自体はぜんぜんありだった。
 奥村燐の後姿が見えなくなるまで見送っていた勝呂の前に志摩と子猫丸が戻ってきた。なんやええことでもありましたかと聞いてくるふたりには「べつになんも」とそっけなく答えておいて、勝呂は浮きあがっておさえのきかない明るい気持ちをひとりじめにした。





類は友を呼んだ後、
(2011.06.23)(タイトル拝借:BALDWIN


▲Text